ワシントンのホップ

私の住んでいるワシントン東部は、ビールに欠かせないホップの生産地として有名です。
全米の実に75%、全世界の30%にあたる年間消費されるホップはここで生産されています。
私の働いている大学の回りもすべてホップ畑です。

9月の終わりから10月にかけてはホップの刈入れ時です。
ホップの収穫は、まだ夜が明ける前に行われるようで、昨日まで地平線まで広がっていたホップが次の日には全て刈入れられ、朝の通勤ドライブ中にその風景の劇的な変化に唖然とする事もよくあります。

この地で生産されるホップのかなりは世界中に輸出されていきますが、現地(オレゴンもしくはワシントン州)で作られる地ビールにも当然使われます。
この週末、ポートランドにある馴染みのレストランバーでビールを注文したところ、いつものビールは無くタップ(生ビール)の殆どが収穫されたばかりのホップを使った季節限定のビールでした。
丁度ワインで言うとこのボンジョレヌューボといった感じでしょうか。
早速すこし軽めのドライな採り立てのホップで作られた生ビールをオーダーして、収穫の秋に乾杯しました。
残念ながらこのバーはスモーキングセクションがなく、作りたてのビールに葉巻を合わせて楽しむことはできませんでしたが、ビールの味からすればOliva serie Oあたりがお勧めかと思います。 

葉巻の秋

秋は葉巻の似合う季節だと思います。

火をつけた瞬間から少しずつ短くなっていく葉巻はちょうど日を追うごとに短くなっていく秋の夕暮れと重なるものがあります。
夕日の中に消えていく煙に夏の思い出を重ねながら葉巻を楽しむのは、葉巻愛好家だけに与えられた貴重な時間だと思うのです。

葉巻の色もまた秋を感じさせるものがあります。
コネチカット、ハバナス、カメルーン、マデュロ、これら色々なラッパーはどれも秋の落ち葉に見つけることのできる色合いです。
考えて見れば葉巻自体が枯れたタバコの葉からできている訳ですから、落ち葉と通じるものがあるのは当然です。

私は葉巻に火をつける前に、そのラッパーの感触と色合いを確かめることにしています。
火をつけてしまえば小一時間で灰になってしまうは葉巻ですが、こうして自分の指の間に収まるまでに実に多くの自然の恵みと人々の労力が詰まっていると思うのです。
そんな葉巻の色合いと感覚を楽しむのはやはりこの秋の季節に限ると思うのです。

南カリフォルニア

先週末は久しぶりに南カリフォルニアで週末を過ごしました。
到着したのはロサンジェルス空港ではなく、50マイルほど南に在るサンタアナ空港でした。
サンタアナ空港はまたの名をジョンウェイン空港といいます。

空港のロビーには、ウエスタンスタイルで腰の銃に手をかけようとしているジョンウェインの銅像が建っています。
その銅像を見ていると、昔日本のテレビで放送されていた洋画劇場でよく見た西部劇が思い出されます。
あの頃考えていたテレビの中のアメリカと、今30年以上住んでいるアメリカの違いに思わず意味も無く戸惑ってしまいました。

その日はハリウッドのハードロックカフェでお決まりのハリケーングラスを購入した後、フリーウェイを使わずにサンタモニカ通りを使ってビバリーヒルズ経由でサンタモニカの海岸線を目指しました。
初日の晩はベニスビーチ(シュワルツネイカーがウェイトトレーニングに励んだマッスルビーチもこの近くです)の隣にある、マリーナデルレイ港内のホテルに泊まりました。

夕食を食べた後、ホテルに戻るとパトカーが数台ホテルの前に止まっており、なんとも物々しい風景が広がっていました。
野次馬根性一杯の私は、ポリスが数人集まっている一階の部屋のベランダ辺りまでさりげなく歩いていき、部屋の中を覗きました。
そこには二人の男性が床に手錠をかけられてころがされおり、連れと思われる女性がポリスにいろいろ質問されていました。
数分後には女性も含め皆さん手錠をかけられ連行されたので、私の思うところ多分、麻薬の取引現場か何かだったのでしょう。

日頃田舎に住んでいる私には都会でのこうした日常がとても刺激的に感じられた一日でした。

チャイナタウン

日本の横浜や神戸にチャイナタウン(中華街)がある様に、アメリカの大きな町には決まってチャイナタウンが存在します。

サンフランシスコの中華街のように、観光客に溢れているチャイナタウンは全体からすれば稀で、チャイナタウンはあまり治安の良くない都会のはずれにある場合が殆どです。

ホノルルのチャイナタウンもその例に漏れず、麻薬もしくはアルコール中毒者、売春婦、ホームレスが溢れていました。
ホノルルのチャイナタウンは、当時住んでいたコンドミニアムから歩いて数分の距離にあったので、買い物や安い外食によく利用しました。

ハワイ時代はコンドミニアムの入り口で葉巻に火をつけて、そこから真っ直ぐ海に向かって歩いて、アロハタワー経由でチャイナタウンを回って家に帰るのが夕方の葉巻散歩の基本でした。

アロハタワーは観光客で結構にぎわっていても、チャイナタウンの始まるあたりからは人数もまばらになり、寂れたバーから漏れてくる明かりが怪しくそのあたりを照らしていました。
その人生の終わりを待つだけの雰囲気が漂うバーには一度も足を踏み入れることはありませんでしたが、今でもハワイ時代に良く吸っていたLa Gloria Cubanaに火をつけると思い出します。
ちなみにそのバーの名前はParadise Lost(失われた楽園)でした。

友人、オイスター、マーティーニ、そしてロッキーパテル

先日、グアム時代の友人が、本土で会議に出席したついでにシアトルに数日滞在するということで、久しぶりの再会になりました。
若かった頃はどんなに酒を飲んでも全く崩れなかった彼も、現在ではコレステロールと血圧の薬が手放せなくなっており、年をとるのは怖いものだと考えさせられました。

初日の夜は、シアトルダウンタウンにあるブルックリンという名のシーフード専門店で、オイスター(生牡蠣)の前菜をあてにマーティーニを数杯流し込みました。
私がアメリカ北西部で養殖されているオイスターの中で一番気に入っているのがKumamotoオイスターです。
どう考えてみてもこの英語のKumamotoは“熊本”だと思うのです。
多分そのむかし、日本の熊本から牡蠣の種を持ってきて誰かが養殖を始めたのでしょう。
この熊本オイスター、小粒でとてもクリーミーな上品な味わいを持っているのです。
日本では一度もこの熊本産の牡蠣など見たことが無いので、多分もう日本では生産していないのかもしれません。

オイスターとマーティーニを充分楽しんだ後は、二人でロッキーパテルを燻らしながらシアトルの夜の町に出かけました。

こうして友人と昔話に花を咲かせながら楽しむ葉巻は最高です。
友人、オイスター、マーティーニ、ロッキーパテルとてもいい感じのシアトルの夜でした。

残暑

八月の夕方には微かな秋の気配があります。

今日、妻と二人で庭のベランダに座って、夕風に吹かれながらお茶を飲みました。
いつもならビールに葉巻のパターンですが、数日前から引きずっている風邪を気にしてお茶になったのです。
今年の春先、ベランダの日差しに色とりどりの花篭を取り付けたのですが、いつの間にか半分以上の花が散ってしまい、枝と花の間から夕空がのぞくようになりました。

今年の夏は、殆どの時間をワシントン大学での研究に費やしてしまったので、恒例の南の島でのダイビングはお預けになりました。
さらに、昨年この時期はたしかシガコネ本社のスタッフと一緒に、ニューオリエンズで開かれたタバコと葉巻のコンベンションに参加していました。
残念ながら今年は参加する予定はありません。
今年のコンベンションもまた二年連続でニューオリエンズで開催ということで、今年は飛ばして多分来年のラスベガスでのコンベンションに参加することになると思います。

そんなわけありで今年の夏は殆どどこにも行きませんでした。
どこにも行くことなく夏が終わると、なんだか損した気になるのは私だけでしょうか。

シアトルと日本

今年の夏はワシントン大学で研究生活を送る時間が多かった為、じっくりとシアトルの町を経験することができました。

シアトルは、ちょうどポートランドとサンフランシスコの中間的な感じの町です。
気候的にはポートランドとほぼ同じですが、朝方霧がかかったりする感じはまるでサンフランシスコです。
町の雰囲気はリベラルで開放的です。
リベラルな町の感覚は、西海岸沿いの大都市に共通するものがあります。

シアトルには日本人に良く知られた名所かなりあります。
シアトルマリナーズのSafeco Field、某映画で有名なPikes Place、スターバックス最初の店などはいつも観光客でにぎわっています。

歴史的に見ても、シアトルと日本は戦前から航路で繋がっていました。
柔道を世界に広めた嘉納治五郎も、横浜港からシアトルに入る経路で柔道をアメリカに伝えたのです。

この町で一つ不思議に思うのは、ロサンジェルスやサンフランシスコにはある日本人町が無いことです。
ただ私が知らないだけで、昔は存在していたのかもしれません。
第二次世界大戦中、米国籍を持つ日系人は殆どすべて財産没収のうえ強制収容所に入れられてしまった為、その歴史が途中で途切れてしまっていることが多いのです。

8月15日は終戦記念日です。
戦後生まれでアメリカ人の妻を持つ私にとって、意味があるような無いような記念日です。
とりあえず平和な世界に生まれたことを感謝してボリバートロあたりの重めの葉巻に火をつけようと思っています。

猫とビールと葉巻

最近の週末は色々と家の庭手入れなどに時間をとられ、ポートランドのコンドに行くチャンスもありません。
庭の芝刈り、雑草抜き、猫のトイレの掃除、一週間分の洗濯、買い物、洗車、などなど週末しかできない雑用は毎週末繰り返すのです。

平日の午後に少しでもこれらをかたずければ、自由な週末がエンジョイできるのですが、平日は家にいない日が多くどうにもなりません。
そこで最近、新しい週末のパターンができてきました。

土曜日はまず雑草抜きから初めて芝刈り、一週間分の買い物、時間があれば洗車で終わります。
日曜日は洗濯物から初めて、家の中の掃除すべてです。
私はカトリックなので、日曜日にはミサに行く必要がるので、午後6時過ぎのミサに行くようにしています。
いずれにしても夕方8時ごろにはすべての雑用が終ります。

ポートランドのダウンタウンであれば、この時間からバーやレストランに出かける事も楽しみのひつですが、自宅のある田舎町ではそんな気分にはなれません。
そこで最近は家のポーチに座って、ビールを片手に猫を庭で遊ばせながら葉巻に火をつけるのが週末の夕方の形になっています。

綺麗に刈入れた芝生の上を猫がごろごろしているのをよそ目に、葉巻の煙を行方を意味も無く眺めて時間をつぶすのです。
我ながら典型的なアメリカ、ミドルクラスの生活スタイルはまりつつあることに少しならずとも嫌悪感を感じる今日この頃です。

夏休み

七月半ばといえば日本では夏休みの始まりの季節だと思います。
私は中学校まで日本の学校教育を受けていたので、約一ヶ月の夏休みを楽しみにしていたのを覚えています。

一つ嫌いだったのが夏休みの宿題です。
どう考えても休み中に宿題をすることは、休みというコンセプトに反すると子供ながらに考えていたのを思い出します。
確か小学校 高学年の時だったと思いますが、どうせ宿題はしないのだからと思い、学校からの帰り道、先生方からいただいた宿題のプリントをすべて川に捨てました。

その夏は机の上に意味も無く積もった宿題の山を見ることなく、楽しく蝉捕りや小魚捕りに熱中できたのを覚えています。
一日中、山や川で遊べばいろんなことを学ぶものです。
川の流れのどの辺りが一番早いか、砂と小石の分布、蝉によってもとまる高さが違うこと、簡単に言えば一ヶ月間の校外学習のようなものです。
そのうえ山の中を走ったり、川岸の崖から飛び降りたりしてましたから、運動神経の成長にも一役買っていたと思います。

今年の夏休みはワシントン大学で、井戸水中の細菌に関する研究をしているわけですが、それも幼年期に川の水をビンに入れて太陽にすかして観察していた自分の延長だと思うのです。
一つだけ違うのは、幼年期の自分には思い出という観念は無かったと思います。
すべては今日であり、今目前にあるものがすべてだったと思います。
数十年後、今の自分には現実と過ぎ去った思い出、あるいは経験という二つの次元の世界がつながるのです。

葉巻を楽しむ時間は、この過去と現実を照らし合わせて人生を振り返る時間でもあるのです。

華氏104度での葉巻

この夏はワシントン大学の研究所で仕事をしている関係で、週末だけワシントン東部にある自宅に帰るというパターンを繰り返しています。

今週末、家に帰ると気温が華氏104度(摂氏40度)という状態でした。
ワシントン大学のあるシアトルは華氏80度(摂氏26.6度)ぐらいでしたから、その温度変化はかなりのもでした。

シアトルから家までは時速75マイルほどでクルーズしても3時間半ほどかかるので、家に着くなり当然葉巻に火をつけたくなるものです。
こんな熱い状態では外で葉巻を楽しむのも気が引けるのですが、幸いなことにワシントン州東部は乾燥しており(丁度西部劇に出てくるような環境です)、気温が高くても湿度が低いため日陰に入れば何とかしのげるのです。

さてこの高温の中でも楽しめる葉巻はどれだろう、とヒュミドールの扉越しに(自宅にはキャビネットサイズのヒュミドールを設置しています)色々吟味した結果、選んだのはペルドモでした。
この葉巻は本当に素晴らしく、どんな環境にもうまく溶け込みます。
乾燥した熱い空気中に流れていく葉巻の煙は、不思議なことに周りの温度を少し下げてくれるような感じさえするのです。