マイケルジャクソン

私は70年代後半からアメリカで高校、大学時代を過ごしました。
そんな学生時代のBGMには必ずマイケルジャクソンの音楽がありました。
音楽に関してはほとんど興味の無い自分でさえ、マイケルジャクソンの音楽はかなり覚えています。

車の中で流れてくるラジオからの音楽、クラブ(その頃はまだディスコと呼ばれていました)で流れてくる音楽、学生寮の部屋から流れてくる音楽、そして忘れてならないのはMTVが流していたミュージックビデオの中の人間離れしたダンス。

彼はやはりいろんな意味でアメリカのポップ文化を支えた一本の大きな柱だったと思います。
間違いなく音楽の歴史に残るミュージシャンの一人だと思います。
始めてマイケルジャクソンの死を知ったのは仕事の帰り道の車の中でした。
その日の夕方、ジャクソン死去のニュースがあちこちで波紋を呼ぶ中、彼の冥福を祈ってLa Gloria Cubana に火をつけました。

チェ ゲバラ

葉巻の一番似合う人物といえば、やはりキューバ革命の中心でもあったチェ ゲバラだと思います。
戦闘服に身を包み葉巻をくわえているチェ ゲバラの写真は有名です。

キューバ革命の後、アメリカのCIAにより暗殺されるまで、チェ ゲバラは南米の貧しい人々のため革命家として大資本と戦い続けました。
数年前キューバを訪問した際も、町のあちこちで彼のポスターやたて看板を見ることができました。
キューバに限らず今でも南米のほとんどの国々でチェ ゲバラはヒーローとして崇められています。
アメリカにとってのテロリストは南米の国々に住む人々の救世主でもあるのです。

先日南米出身の友達からチェ ゲバラをたたえる歌のリンクを教えてもらいました。
歌は当然スペイン語なので全く理解できませんが、そのミュージックビデオは一見の価値があります。

ビデオのなかで女性が赤ん坊を抱いて機関銃を背中にしょっているシーンがありますが、これはネクアグラ革命の時に出回ったポスターからイメージを取っているとの事です。

お勧めのリンク先は下記のリンクです。
南米産葉巻に火をつけるときその葉巻に伝わる歴史を感じてもらえれば幸いです。

http://www.youtube.com/watch?v=SynVFM_6ezk

葉巻の灰について

たまに葉巻の評価の一部に良い葉巻は、燃えた跡に真っ白な灰が残るようなことが言われていますが、灰の色は葉巻の質とは関係ありません。

葉巻の灰の色はそのタバコが育った場所の地質によるものです。
基本的にリンとカルシウムの多い土に育ったタバコは白い灰になります。

例としてはスマトラもしくはカメローン地方のタバコが上げられます。
キューバの土は基本的にカルシウムが少ないのでキューバ産の葉巻の灰が真っ白であることはめったにありません。
反対に黒い灰はそのタバコの育った土壌に多くのマグネシウムが含まれていたことを示します。
またマグネシウムが多い土壌で作られたタバコは燃えるとき灰が崩れやすい事もあります。
崩れ易い灰は葉巻の味には関係しませんがしっかりした灰と比べて吸いにくい事も事実です。
個人的には綺麗に灰が残っていく葉巻が好きです。

ロブストを楽しむために

皆さんは自由な時間、いわゆる自分だけの時間が一日何時間あるか考えたことがありますか?
葉巻を楽しむためにはこの自由な時間が必要なのです。

朝起きて車なり電車なりで出勤して夕方まで働いて家に帰る。
サラリーマンの方なら仕事の後も付き合いで数時間は夜の街で時間を費やす。
家に帰れば夕食を食べテレビでも見て風呂に入って寝る。
これでは全く葉巻を楽しむ時間はありません。

私は通勤に一時間かかるため家に帰るのは早くても6時過ぎになります。
柔道の練習やジムで汗を流した場合8時過ぎに帰宅するのが普通です。

私も妻も朝6時にはおきる必要があるため寝るまでにほんの数時間しかありません。
それでも私は葉巻をほぼ毎日楽しんでいます。
それもロブストサイズの葉巻です。

その秘訣はうちにテレビがないことにあります。
食後にテレビを見る代わりに私はゆっくりと葉巻に火をつけるのです。

梅雨と葉巻

日本はそろそろ梅雨の時期ではないでしょうか?

梅雨の時期は湿度が上がりがちになります。
ヒュミドールの中の湿度が上がり過ぎないように注意することが大切です。
加湿器を水で湿らせすぎないよう気をつけてください。
ヒュミドールに入れる加湿器には水分を吸収する機能もありますが加湿器のぬらしすぎは水分吸収機能をだめにしてしまいます。

私も以前ハワイに住んでいた頃一度、加湿器をぬらしすぎて気が付いたときはヒュミドールの中がカビだらけで、かなりの葉巻をだめにした経験があります。
適切な湿度を保つためにはやはりデジタル式の湿度計は必需品です。

個人的にはヒュミドールの蓋を開けずに湿度計が見られるほうが良いので、ガラストップのヒュミドールをいつも利用しています。
ガラス越しにいろんな葉巻が見られるのも楽しみのひとつです。

日本語と関西弁

私にとっての日本語それは関西弁です。

こうしてブログを書くときはいろいろ考えながら、ゆっくりゆっくり日本語入力で書いていますので、なんとなく標準語っぽく仕上がっていきますが、電話などで日本のシガコネの社員の皆さんと話すときなどは、始めは丁寧語から入り三分後には丁寧語の関西弁になり、だんだんフルの関西弁になります。

おまけに私はとても早口らしく(自分ではそう思わないのですが)、初めての人と話すと常に日本語をしゃべっているのか、英語をしゃべっているのかわからないといわれます。
シガコネの仕事を始めて日本語を話す機会も増え、こうしてブログも担当させていただき、日本語の書くほうも少しずつよくなっていくような気がします。

私の妻はアメリカ人で英語しか話せないのですが、日本語を話せるようになりたいと日本語の勉強をしています。
結構日本語の単語を覚えるのが早く、いつの間にか結構綺麗な発音でいろんな言葉を思い立ったかのように口にしています。

しかし標準語で日本語を覚えても僕の関西弁は理解できないでしょうから、彼女の覚える標準語を関西弁に正しています。
“ちがう”=“ちゃう”  “だめ”=“あかん”  ”おいしい“=”うまい“といった感じです。

ローズフェスティバル

先週末はポートランドのローズフェスティバルに行ってきました。
ポートランドは別名ローズシティーとも呼ばれており町のあちらこちらにバラの花が咲いています。

毎年6月の始めに咲き始めたバラで飾りつけたフロートが、ダウンタウンの真ん中を音楽隊とともに行進していく様子は丁度日本の神輿と夏祭りに似た感じです。

歩道一杯に人々が陣取って行進を見ているので当然葉巻は吸えません。
川沿いの公園には色々な店が出ており、ここはかなりのスペースがあるので人に迷惑をかけることなく葉巻に火をつけることができます。

少し離れたベンチから通り過ぎる人々を眺めていると、英語以外の言葉を喋りながら行きすぎる人の多いことにおどろがされます。
最近多く聞こえる言葉の一つはロシア語です。
一体どのようにしてロシア圏からアメリカに渡ってきたのだろうかと考えてしまいます。
いずれにしてもこれだけの違った人種が集まってローズフェスティバルを楽しめるということはいいことです。

日本出張

先週は日本に一週間ほど滞在しました。

シガコネのメンバーと今後の打ち合わせなど、仕事関係の作業もありましたが、私が日本に戻る最大の理由は季節の食事です。
アメリカ旅行をしたことのある方ならわかると思いますが、アメリカの食事に季節感というものはありません。

感謝祭に七面鳥を食べる以外、食事内容は365日間いつも同じです。

アメリカの食事は基本的に大味で質より量の世界です。
その結果アメリカ人の三分の一以上が肥満という信じられない社会現象が起きています。

そんなアメリカに住んでいる私は年に二回、夏と冬に日本に戻ります。

帰国の際にはどこで何を食べるか念入りに予定し、その食事の間に仕事やミーティングの予定を入れるようにしています。
日本のメンバーも私のわがままをよく理解してくれており要望どおりの食事に付き合ってくれます。

食事の後は恒例の飲み会です。
シガコネの場合、当然シガーの吸える店での飲み会になります。
今回は私お勧めの新しいシガーをメンバーの皆さんに試してもらいました。
私個人としてはロッキーパテル以来のヒットを思っているのですが、日本導入に関しては日本の市場を考えたうえでの決定となります。

ハワイの友人

ハワイで生活していた頃、よく一緒には葉巻を楽しんだ友人の一人にマリオがいます。

彼とはよくビールをピッチャー単位で飲みながら、ハワイ大学の近くのバーで葉巻を楽しんだものです。

初めてマリオと葉巻を吸ったとき、私がテキーラに葉巻の吸い口を軽くつけてテキーラの味と葉巻の味を同時に楽しんでいるのを見て彼もそのまねをしました。
ただ彼は葉巻の火をつけるべき方をテキーラに漬けたのです。
その後彼はしきりにその葉巻に点火しようと頑張っていましたが、当然ぬれた葉巻に火がつくはずもなくその葉巻はだめになりました。

バーに入ってすぐの事だったのでけして彼は酔払って葉巻の点火口をテキーラに漬けたわけではなく、多分テキーラのアルコールに火が付くと思ったのでしょう。
火をつけるにはやはり110度ぐらいの強いお酒でなければだめでしょう。

結論から言えば葉巻をお酒につけて火をつけるのはかなり無理があります。
吸い口を軽くブランデーやウイスキーに浸すのはびしょびしょにならない程度ならOKかなと思います。
まあどちらにしてもこれらは葉巻の本道からは外れた吸い方です。

サーキットと葉巻

先日久しぶりにサーキットを走ってきました。

サーキットでの走行会などに参加された経験のある方はわかると思うのですが、サーキットで車を早く走らせるのは音楽を弾いている感覚と同じです。
コーナー手前でのブレーキ、ハンドルを切り込む角度、アクセルを開けていく度合い、次のコーナーに入る場所、これらすべてが綺麗にそろって初めていいタイムが出るのです。
私は基本的に歌も楽器もダンスも全くだめなタイプなので、当然リズムカルに車を走らせることも上手なわけがなく、しっかりスピンを一回してしまいました。

サーキットを走っていてもうひとつ感じたのは、走行中の精神状態がとても禅と似ていることです。
アスファルトの上で車と自分がひとつになり思った所に思ったスピードで入っていけるためには、気持ちが落ち着いて外部の雑念が消え去り路面の状態と自分の車の状態だけが意識されている感覚です。
葉巻を楽しんでいるときの全く逆の世界です。

私は葉巻を楽しむとき意識的にひとつのことに集中せず過去、現在、未来と思いを廻らせます。
葉巻はある意味で時間を楽しむための道具でもあります。
サーキット走行は時間を削ることを目的とした今を楽しむためのものです。

現時点では私は時間を楽しむことはとても上手ですが時間を削る楽しみの方はまだまだ修行が足りません。